11-27,2015

10ねんまえの日記を読んで感じたことがあります。

10ねんまえの私は、

ものすごくどうでもいいことでも、
面白く解釈したり、
楽しもうというポジティブな貪欲さがあったようで、
とても凡庸な出来事を、とても楽しそうに書いていて、
読んでいると、こちらまで楽しくなりました。

それと比較すると、
今の私は、
そんな凡庸な出来事は、まず意識に留めることすらしません。
それが凡庸で、面白くなく、価値がないことを、
既に知っているからです。

興味を持つコストを払っても、得られるものが何もないことを知っていて、
それを楽しむ努力を節約します。

経験によって効率化された評価感が、
知らず知らず、
楽しむということの本質を、忘れてしまっているような
そんな気になりました。

元々楽しいものや面白いものを、楽しむのは、
誰でもできるし、努力も必要としない。

元々どうでもいいようなものを楽しむのは、
解釈の広さや、物事を面白くさせる視点はもとより、
その自分そのものからして面白いからこそ可能だとすれば、

自分が知らず知らずつまらない人間になっているのではと、
自らを省みた一日でした。

10年前の私は、一日にいくつも日記を書いていたり、
どうでもいいことを多様な角度から表現したりしていて、
とても文章量が多いので、
どうやら1冊には収まりきらないと分かりました。

あまり需要のないものですが、
敢えて贅沢に出したいなと思っています。

ちなみに、その頃のセドナは、
1日のアクセス数が700もあったようです。

信じられますか?!!!!!!!

信じられますかああああああああああああああああ!!!!!

光陰矢の如し