A

01-03,2016


とある様式において、
自らの感性だけに従属し、
浮世との隔絶を振り切ってそれを形にする時、
それを成した"今"は常に汚れてしまう。

それが決して、限りなく自分のみによって生まれたものではなく、
ある意味世界の感性に敏感に反応し、混ざり合い、
更にその混濁の中で、自らを見定めようとするように、
過度なほどの力によって再び自己を形成し、
その力の大きさ故、隔絶となるほどの自己の輪郭が生み出された結果による、
反作用的進化の末の、魔法だからだ。

それはその空間にとって異物のように映り、
それ自身も、その空間全体の反応に再反応して、
今の中では孤独に汚れてしまうだろう。

しかし、そうした経路を辿ったものは、
いくらか時が過ぎて、空間の温度が冷めやまった時、
荒々しい炎と熱の中に投じられた鉄がやがて鋼となるがごとく、
とある聖域を纏う。

過去を振り返れば常にそうだったことが分かる。
しかし、その時は汚れていた。

今が汚れることを恐れては物事は成せない。

だからそれでいい。